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管理人与太話:体罰と人間観

今更になって今週水曜日の産経新聞を読んだ。
目的は曾野綾子女史のコラムである。

『殴ってよくなるということや(殴ってよくなるという)人というものはほとんどない』
と女史は書いた。*カッコ内植村追加
また、
『私は人間というものを改変する力は、多分に偶然によるものだろうと考えている』
とある。

このことをもって教育再生なんとかの委員を辞めろと言うのも乱暴な話だ。

思い出せば中学校のサッカー部。
うちは弩田舎ゆえ、同じ苗字の者が多かったのでお互いを名前やあだ名で呼び合うのが普通であった。
都会から来た英語教師兼顧問がある日突然あだ名をやめろと言い
その直後にうっかりだれかがマコト君を「まこ!」と呼んでしまい
全員が殴られたのだ。
このことでその顧問を恨みこそすれ何が残るのだろう。

坂井三郎も前線勤務の時に部下を殴ったことを述懐している。
しかしそれは、最前線で戦わねばならない若者のミスを
痛みをもって思い知らせると言う一つの方法であり
その痛みを忘れてもう一度同じことをしたら今度は死ぬかもしれない
お前が死ぬのが辛いから殴ったのだ。

人を変えるという点で坂井三郎は面白いことをしている。
後方勤務になり、若者の教育をがっちりとできる立場になった時
体力・腕力をつけることの重要さを教えるために自ら登り棒に上がって15分耐えて見せた。
これがはっぱをかけるだけ、すぐ落ちる若者のケツを叩くだけだったら
若鷲たちのやる気は上がらなかったであろう。

メタリカというヘヴィメタルのバンドがある。
彼らの歌の中に今で言う毒親にたいする愚痴というか嘆きを歌ったものがあるのだが
Dyers Eveという歌でこんなことを言っている。
「やつらはオレに言うんだ。”言うとおりにしろ、やるようではなく”」
言葉と行動が伴わない者に他人を変えようなんてことはできないと思う。

思うに曾野さんはゆとり教育の張本人と言われているが
女史は計算式をつめこむことより、もっとすばらしくて泥臭い人間のことを若い世代に学んでほしかったのではないだろうか。
しかし、授業の量が減ろうとも、若者に接する大人が日教組に代表される腐れた奴らだったことが曾野さんの誤算だったのではないかと思う。

人を変えようというのは、相手を無理やり型にはめようというのはうまく行かないだろうと思うし
行ったとしたらそれは洗脳であろうと思う。
それよりも、自らが模範となり、それを見た人が感ずるところがあれば変わるだろう程度でしかないのではなかろうか。

そういう意味で橋下氏が予算の停止をするのは
罰を与える。嫌なら変われ
という体罰教師と差がないことなのだと考える。


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